地平線への鍵 【Sound Horizon考察】

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「Sacrifice」 -どうやって村人を鏖殺したのか-

 実は前々から気になっていたんですがね……。
 「Sacrifice」のラスト、姉が『村中に火を放った』と解釈してる人が、あまりに多すぎやしませんか?

 いや、別にそれを完全に否定しようというのではないのです。
 私としても、『最終的には』そうしたであろうという蓋然を認めるには吝かではありません。

 しかし、“どうやって”という部分がすっぽり抜け落ちているのでは、数学で途中式を書かずに解だけ述べるようなものであって、些か受け入れ難い。
 はっきりとした場所や時代は不明ですが、狭苦しい日本ではないのは確かです。人口の密集する都市部や何かではなく、「村」であるならば、隣家まで数百メートルとか、下手したら数キロあってもおかしくはない。
 ましてや木造建築である事すら想像し難いのですから、火が燃え広がるという状況すら、ほぼ有り得ない。
 そんな条件下で、たった一人の、しかも女性が、どうやって村全体に火を放てるんですか? それも、村人の妨害も受けずに。

 この点の不自然さを補う為に、『姉が魔女であり、魔法で火を放った』などという説を展開している方も見掛けましたが、そんなものは論外です。
 確かにSH世界には『魔法』の入り込む余地も存在しますが、Abyssサイドの他の4曲と比較しても、「Sacrifice」にだけそれを適用するのは明らかに不自然でしょう。「姉=魔女」説は体の良い“逃げ”であり、現実的な視点による模索を放棄した、単なる思考停止の産物に過ぎません。

 だって、有るじゃないですか。
 『火炙り』なんていう発想が簡単に出てくるような、『キリスト教の影響が色濃い時代』のヨーロッパであろうと思われる、『村』という閉鎖的な環境なんですよ?
 これだけ条件が揃ってれば、現実的かつ合理的であり、なおかつ女性一人でも可能な方法で、村人全員を一網打尽にできますとも。

 これだけ条件を並べ立てれば、皆さんにもお判りでしょう。
 安息日なり祝祭日なり、ミサの執り行われる日と時間を見計らって、教会に火を掛ければ良いんですよ。

 現代人、ましてや日本人である我々にはピンと来ませんが、中世ヨーロッパ(だと思われる)に於いて、尚かつ体質として閉鎖的になりがちな「村」という単位ともなれば、キリスト教の戒律は“絶対”であり“責務”です。
 死に瀕するような重症を負っていたり、寝たきりで動く事すらままならないといった特別な理由でもない限り、ミサを欠席などしようものなら即座に弾劾されます。それこそ、『悪魔の使い』か『魔女』呼ばわりでもされて。
 つまり、最低でも週に一度は必ず、村中の人間が教会に集まるのです。だったら話は簡単じゃないですか。

 ミサの時間を見計らい、教会の出入り口をかんぬきでも使って封鎖。建物一つが火に包まれるような燃え種なら、人が生活している場所であれば改めて用意するまでもありませんでしょうから、後は少々の油と火があれば充分です。それくらいの労力であれば、女性一人でも何ら問題はありません。
 普通なら、ミサに出席していない人間が容認される事はないでしょうが、妹を火炙りに掛けられたばかりのサクリ姉の姿が見えなかろうと、村人は誰一人として疑問には思わなかったでしょう。それはつまり、妨害される要素がないという事です。
 中世のヨーロッパ、そして僻地の教会であれば、明かり取りの天窓やステンドグラスくらいはあったにしても、普通の硝子窓すら有った可能性は低い。正面玄関と裏口でも封鎖してしまえば、それだけで教会内の人間は逃げ場を失います。
 加えて、これは地域などにもよりますが、教会の出入り口というのは神聖な力が逃げ出さぬようにと小さく作られる事も有り、その場合であれば尚のこと封鎖が容易となります。

 ほら、現実的かつ合理的な方法で、求めるべき解が得られましたでしょう?
 村中に火を放つとしたら、その後でやれば良い。どれだけ時間を掛けようと、もう彼女の邪魔をする存在は居ないのですから。

 エリ組のジャケットイラストにも、良く目を向けてみて下さい。
 燃えているのは、教会らしき建物一つです。
Copyrights (C) CAZ 【2005年07月30日更新】 | Elysion 〜楽園幻想物語組曲〜 | HOME
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