地平線への鍵 【Sound Horizon考察】

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総合考察Phase-3「綴られし終わり無き彷徨」

 ここで触れるのは、「Abyssサイド」と称される5曲(Ark,Baroque,Yield,Sacrifice,StarDust)についてです。
 この総合考察では、エリ組全体を通しての総括的な評釈を綴っておりますので、Phase-1,Phase-2を未読の方には不明な点が多々あります。
 もし未読の方であれば、ここに目を通す前にPhase-1,Phase-2をご覧下さい。


 皆さんご存じの通り、「Abyssサイド」と銘打たれた5つの楽曲は、ある一言によって開幕します。

「彼女こそ私のエリスなのだろうか…」

 人物。年代。場所。その全てに一切の共通項を持たない別個の物語である「Abyssサイド」に於いて、誰の目にも明らかな共通性が、この冒頭の台詞だと言えるでしょう。
 そして、「Ark」「Baroque」「Yield」「Sacrifice」「StarDust」という、奈落に連なる頭文字を秘めた曲を一度でも通して聴けば、直接的な言葉としては書かれていない「ある感情」という共通項は有りますし、結末は必ず「仮面の男」の登場に集約されます。
 これらの5曲が「Abyssサイド」という呼称を用いて括られるのは、表面的にはこのCDを一度でも手にすれば解るようにデザインされている点は勿論のこと、内面的には上記しました三つの大きな共通項こそが理由の一つとなっています。

 さて、それを踏まえた上で、もう一度冒頭の台詞を振り返ってみて下さい。
 それぞれが一つの物語である、「Abyssサイド」。
 個々に完結する5つの曲中にあって、実はこの台詞だけが唯一、“物語(曲)の外部”からの視点に属したものなんですね。
 この台詞自体を“誰”が洩らしている言葉なのかという点は、おそらくは訊くまでもなく、皆が皆おなじ認識を持っている事でしょう。
 つまりは、「仮面の男Abyss」と呼ばれる存在です。

 ですが、それをして直ぐさま前回までの考察で触れていた「Elysionサイド」に登場する「エルの父親」と、これら「Abyssサイド」に登場する「仮面の男」を同一視するのは、少々乱暴というものでしょう。
 何故なら、「Abyssサイド」に於ける「仮面の男」という存在は、前述したように時代も場所も異なる地へ脈絡もなく登場する、一種のメタ存在として描かれており、明らかに“人間”の範疇を超えています
 ですから、転生、乃至は蘇生術などという呪術的な技法は身に着けていたと思われるとはいえ、ナイフ一つで致命傷を負う程度の尋常な“人間”であった「エルの父親」と同一視するには、その較差に横たわる問題を解決しなければならないからです。

 ならば、それを紐解く鍵は何処にあるのでしょうか。これは決して、物語の中にヒントが存在しない訳ではありません。
 そもそも、私が「Abyssサイド」を時系列的には「エルの楽園」の後に配置したのは、詰まるところこの問題を解決する為でした。
 つまり私は、「Abyssサイド」に於ける「仮面の男」という存在は、「エルの楽園」にて死を迎えた筈の「エリスの父親」の末路であると考えた訳なんです。

 ここで皆さんには、もう一度前回までの内容を思い出していただきたいのですが、「肖像の少年」であり、「オルフェウス」であり、「エルの父親」である彼には、それまでの曲中では解決されていない、ある“枷”が存在していた筈なのです。
 それこそが、「仮面の男Abyss」と「エルの父親」を繋ぐと思われる唯一の不確定要素、“ラフレンツェの呪い”です。
 よくよく「Elysionサイド」の内容を見てみるとこれは明白なのですが、「エルの父親」はその存命中、様々な不幸にこそは見舞われていても、“これは呪いによるものだろう”という明確な事象には一度も遭遇していません。
 強いて言えば、前回の最後にも少し触れたように「エル」が抱える肉体的な欠陥ですが、これはあくまで「エル」の身に関する事であって、「エルの父親」に対して掛けられた呪いの結果であるとは言い難いものがあります。
 ですから、“ラフレンツェの呪い”とは“生を終えた時”にこそ真価を発揮する代物であったと考えれば、彼女の持っていた“冥府の番人”という役割にも符合しますし、納得がいくのです。

 この際、もう一つ着目したいのが、シークレットトラックであります「Track44」の存在です。
 これが敢えて44番目のトラックに配置されているのは、「エリスの父親」が“安らかな死後(45)”へは絶対に至れぬという暗喩ではないかと、私は受け止めました。
 「Elysion」という大きな物語を締め括るべき筈の「Track44」。ですがそれは、一人の男の“安息”を否定しているのです。

 と、ここまで来てなんなのですが、少し話を戻してみたいと思います。
 Phase-2にて触れました、「エルの天秤」に隠されているメタファーとアイロニーについてです。
 「天秤」には実は、“ラフレンツェの呪い”を示唆するであろうと思われる、ある表現が用いられているのです。
 それは「エルの父親」が“船頭に扮している”という、一見しただけでは何でもなさそうな点なのですが、これを理解するには「魔女とラフレンツェ」の歌詞にも目を向けなければなりません。
 それは「蝋燭が消えれば渡れない川」や、「深く冷たい冥府の川」及び「嘆きの川」。
 これらは全て、一つのものを指した表現なのですが、日本で言えば“三途の川”に該当するこの川は、ラフレンツェの役割や曲中に散りばめられたギリシア神話からのモチーフの数々から、同神話に於ける冥界から流れ出る川であります、“アケロン河”であろうという憶測が成り立ちます。
 そして、この“アケロン河”には、カロンという名の“渡し守”が存在するとされています。要するに、現世と冥府の橋渡し役ですね。
 これを踏まえてから更に、「Abyssサイド」に登場している「仮面の男」の立ち位置を改めて振り返ってみて下さい。
 狂愛の果てに自らも身を滅ぼす五人の娘達と、彼女達を迎えに現れる“死神”的な存在として描かれる「仮面の男」。
 そう、「天秤」に於ける“船頭に扮した男”という何気ない表現は、「エルの父親」の変遷を示唆した比喩表現だったと見ることが可能なのです。
 なんとも小粋で、皮肉に満ちた仕掛けでしょう?

 とまあ、少し話が逸れた感がありますが、私はこの“ラフレンツェの呪い”というものが、“冥府の橋渡し役”という永劫に渡る呪縛を受けるという代物であったのではないかと推察する次第です。
 彼女が“冥府の番人”であったなら、“渡し守”なんてものは下っ端みたいなものですからね。例えばサポート役として、自分より下位の存在を生み出す呪法をラフレンツェが心得ていたとしても、これは納得できる話ではないでしょうか。
 これにて「エルの父親」が、形而上的な存在である「仮面の男Abyss」へと変わる経緯は、どうにか説明できたと判断します。
 ここで再度纏めておきますが、
「『肖像』の少年」=「オルフェウス」=「エリス(エル)の父親」≒「仮面の男Abyss」
と、なる訳ですね。

 では、その上でもう一度、「Abyssサイド」冒頭の台詞に目を向けてみましょう。
 “人間”としての真っ当な死を否定された「仮面の男」は、“冥府の橋渡し役”としての役割を果たしながらも尚、「エリス(≒エル)」を探し続けています。
 この事実から推測するに、「エルの楽園」にて生涯を終えた転生体「エル」は、どうやら人としての尋常な死を迎えられたのであろうと思われます。それこそ、彼女が求めた楽園へ辿り着けたのかもしれません。
 ですがそれは、「仮面の男」にとっては永劫の別離に他なりませんでした。

 喩え死してでも、「エリス」と共にあることさえ出来れば、彼にとっては本望だったと思われます。
 されど現実には、彼には本当の意味での“死”を迎えることが適わず、「エリス」と同じ場所(死後の楽園)へ至る術が存在しません。
 命の灯という“蝋燭”が消えてしまった以上、“アケロン河”は渡れません。
 これは通常、冥府から現世へ立ち戻ることが不可能であるという意味合いですが、“冥府の橋渡し役”となった「仮面の男」にとっては全く逆の意味を持ちます。
 永劫に消えぬ特殊な蝋燭を背負わされた彼にとって、行けるのは川の対岸である冥府の入り口のみに過ぎず、その奥底に存在する「Elysion」へ、彼の「エリス」が居る場所へは、もう二度と辿りつく方法が無いのです。
 これを“残酷な呪い”と言わずして、なんと表現したらよいのでしょうか。少なくともラフレンツェの放った呪詛は、大いにその成果を上げたと見るべきでしょう。

 それでも尚、「仮面の男」は諦めることを知らず、彼の「エリス」を探し求めます。
 「エリス」が人としての真っ当な死を迎えたのであれば、もしかしたら輪廻の果てに再び地上で生を得るかもしれない。
 そこに一縷の希望を見出し、「仮面の男」は自らの役割を全うし続けます。

彼女こそ…。彼女こそは…。

 そう願い続けながら、幾人もの少女たちが綴る物語の末路に現れるのです。(曲中にて明確な表現はされていませんが、「Abyssサイド」の五人の娘は全員が死亡したと考えます)

 時間さえ超越した存在となった彼は、その永劫を通して一人の少女を捜し求め続ける。
 彼にとっての「エリス/Elis」=「エル/El」=「楽園/Elysion」を。
 「Abyssサイド」にはそんな、「仮面の男」の彷徨を描いているという面が存在する訳なのです。

 さて、このPhase-3はここらで終了なのですが、最後に一つ。
 この「Abyssサイド」に於ける「仮面の男」の立ち位置というのは、明らかに「死神」のそれに近いものです。
 そして、SHファンである皆さんならば当然、ギリシア神話での「死神」の名前はご存じでしょう。
 そう、「タナトス/Thanatos」です。

 ひょっとしたら「仮面の男Abyss」=「Thanatos」であって、この「Elysion」という作品は「Thanatos」の誕生経緯を描いた秘話という側面も有るのかも、なんていう風にも思うのですよ。
 そうやって考えると、「タナトスの幻想は終わらない…」なんて曲が存在するのも、何やら意味深に思えて来ませんか?

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Copyrights (C) CAZ 【2005年07月11日更新】 | Elysion 〜楽園幻想物語組曲〜 | HOME
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