地平線への鍵 【Sound Horizon考察】

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総合考察Phase-2「そして開かれし、或いは閉ざされし扉」

 ここで触れるのは、「エルの天秤」「エルの楽園side:E」及び「エルの楽園side:A」についてです。
 この総合考察では、エリ組全体を通しての総括的な評釈を綴っておりますので、Phase-1を未読の方には不明な点が多々あります。
 もし未読の方であれば、ここに目を通す前にPhase-1をご覧下さい。


 さて、時系列的には先ず「エルの天秤」になるのですが、ここで描かれる「仮面の男」の行動については、前回の「エルの肖像」と「魔女とラフレンツェ」に該当する“過去”に加え、時間軸としてはほぼ同時期(現在)に当たると思われる「エルの楽園side:E&side:A」からも、情報を引用する事が可能となります。
 「仮面の男」が目的の為ならば手段を選ばない人物である事は、前回の考察からも十二分に推測できますし、金が必要である理由は、曲中にある「沈みゆく左皿」だけでは意味が解りかねる、といった感じですね。
 「エルの楽園」の内容を見れば、この“左皿”がエルの事であり、彼女が肉体的な問題を抱えている点も容易に類推できます。これが何故“左皿”なのかという点については、「左/Left」が“エル/L”を暗喩する為だと思われます。
 この「エルの天秤」という曲は実のところ、仮面の男が死に至る直接の原因を聴き手側に提示する内容である為、それさえ知ってしまえば物語全体を読み解くという観点では余り重要ではないと言えるでしょう。
 しかし「魔女とラフレンツェ」と、“未来”で当たると私は考えている「Abyssサイド」に於ける、“「仮面の男」の立ち位置”から視点を変えてみると、実に面白いメタファーとアイロニーが見えてくる曲でもあります。
 ですが、それに言及するには“「side:E」で死という結末を迎えた筈の仮面の男がどうなったのか?”という点に触れなくてはなりませんので、先に「side:E」及び「side:A」の解説へ進みたいと思います。

 先ず、「side:E」冒頭の「私は生涯彼女を愛することはないだろう」というくだりに関しては、前回の考察を読んでいただいた上で“彼女”ラフレンツェであると考えれば、皆さんにも納得いただけるでしょう。
 “生まれてくる子の名”“遠い昔に決めてある”という点も、前回の内容からすれば説明するまでもありません。
 「そして幾度目かの楽園の〜」のくだりは、このElysionと銘打たれた物語全体の開幕を告げる言葉ですが、注意したいの“幾度目かの”という部分。
 「side:A」の「幾度となく開かれる扉」も同様ですが、これらは『Sound Horizon作品』というメタ的な視点によって成る意味合いが強く、エリ組の物語に直接関与する部分は些細である点をご留意下さい。
 ここら辺の語句を額面通りに受け取って、この物語は延々と繰り返され続ける循環世界の話であるという、所謂「ループ説」の根拠にする人が非常に多いのですが、これは少々短絡的に過ぎるのではないでしょうか。
 エリスと仮面の男、たった二人の生死が、世界全体にまで波及するような事象ですか?
 刺されて死んでしまうような尋常な男と、動くことすらままならないアルビノの少女なんていう、取るに足らない存在なのに? 少なくともこの時点では、どう考えたって普通の人間でしかない、この親子がですよ?
 ちょっと考えるだけでも、この「ループ説」は余りに根拠に乏しく、ひいては矛盾を孕みます。「整合性」こそを重視する私にとって、これは絶対に容認できる代物ではありません。
 勿論、“世界”という表現がごくごく局所的な意味合いでも使われる事があるのは承知していますし、『魔女』エリスがこれまでにも同様の転生を繰り返してきた可能性も充分に考慮した上で、私はこの「ループ説」を完全に否定させて頂きます。
 しかし、否定するからにはこちらも明確な根拠を示さなければならないでしょう。ですが、私が「ループ説」を否定する根拠は、即ちこのエリ組全体の命題とも言える「Track44」の問いに対する回答を以て明示させていただきますので、どうぞご了承下さい 。

 さて、話を「side:E」単曲に戻しますと、幾つかの留意すべき事象が描かれています。
 一つは、「仮面の男」の死に様。
 そして、エリス(エル)という名の少女が肉体に不具を抱えている点と、既に意識の混濁が始まっている事。
 仮面の男の死に関しては、この「side:E」と「side:A」という二つの曲中からは、特に語るべき事は有りません。私としては、この肉体的な死こそが、「Abyssサイド」に於ける何処か尋常ならざる存在としての仮面の男へ変貌する契機と考えますが、この点については次回予定の「Abyssサイド」考察に持ち越させて頂きます。
 ですので、ここではエルという少女についてのみ、幾つか解説をしていきましょう。

 前回の考察を読んでくださった方には周知であるように、私はここに於ける少女エルを、『肖像』に於けるエリスの転生体に準ずる存在であると考えています。
 その上で、強引な転生による副作用的な弊害だと考えれば、彼女の肉体が欠陥を抱えているのも納得できるものではないでしょうか?
 本来であれば、ラフレンツェという黄泉の番人を介したこの方法は万全であったのかもしれませんが、肉体的な父親である仮面の男の過誤か、はたまた母親たるラフレンツェの“呪い”という怨嗟の為か、この時点のエリスが身体に重度な欠陥を持ち、死に瀕した状態である事は間違いない訳です。
 混濁を始めた意識の中、彼女は父親の幻影と会話を交わします。

「ねぇパパ」
「なんだいエル?」
「明日は何の日か知ってる?」
「世界で一番可愛い女の子の誕生日」

 そして、彼女が誕生日のプレゼントとして欲した物が、“絵本”でした。
 ここでよくよく注意しなければならないのは、仮面の男が既に息絶えた後であるという点。これを考えれば、「エルの絵本」と題された「魔女とラフレンツェ」及び「笛吹き男とパレード」は、実際の絵本としては存在し得ないという事になります。
 ならば、この“絵本”という表現はどう受け止めるべきでしょうか。

 繰り返しになりますが、エルが混濁した意識の中で求めたのが、この“絵本”です。
 でしたら、そこに記されている内容は「エリス≒エル」の記憶、或いは転生体である彼女の魂(本質)に関する、存在そのものの根幹に纏わる話であろうという推測が成り立つ訳です。
 故にこそ私は「魔女とラフレンツェ」を現実の時系列に組み込み、「ラフレンツェ」こそが「エリスの娘」にして「エルの母」であろうと考えたのですね。
 前回のおさらいにもなりますが、これによって「魔女がラフレンツェを生んだのか〜」のくだりも説明可能です。
 『魔女』エリスがラフレンツェを生み、そのラフレンツェもまた『魔女』エルを生んだのですから、どちらも間違いではないのです。
 さて、同じく“絵本”と表されている「笛吹き男とパレード」ですが、これについては「Abyssサイド」の総括的な意味合いも含むと考える為、Phase-4にて最終的な結論を出したいと思います。

 そうなりますと後は、楽園を夢想するこのエルという少女がどうなったのか、という点に触れるのみでしょうか。
 しかしこれに関しましては、「side:A」の歌詞からしても明白と言えるでしょう。

「誰かの呼ぶ声が聞こえた 少女はそれで目を覚ます」
「心地よい風に抱かれて 澄んだ空へと舞い上がる」

 敢えて説明をするまでもなく、これはキリスト教的な死観である“昇天”を連想させます。
 曲中では婉曲な表現に終始していますが、父親の死を始めとする想定され得る状況を考慮すれば、彼女が生き延びられる要素は一切見受けられません。
 そして、その死の間際にあってさえ、彼女は楽園への憧れを胸に抱き続けます。
 心のどこかでそれを否定する声があるのを自覚しながらも、頑なに救いを求めて。

 この時の彼女に、『魔女』エリスの面影は有りません。
 少なくとも今際の時だけは、ただ一人の無垢なる少女として、彼女は安らかな眠りへ――仏教に言う“一切皆苦”の現世から解き放たれ、身体の痛みに苛まれることも、孤独に震えることもない場所、彼女の楽園へと辿りついたのでしょう。

 ですが、主要人物たる彼女と仮面の男が逝去したこの時点では、Elysionと銘打たれたこの物語は未だ終局を迎えません。
 それは、本来の生命の在り方をねじ曲げるという禁忌を犯した彼女達に対する断罪の形なのか。
 はたまたそれこそが、利用された挙げ句に捨てられたラフレンツェという少女の呪いであったのか。

 複数の課題を敢えて残しつつ、ここで次回へと続きます。

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Copyrights (C) CAZ 【2005年07月11日更新】 | Elysion 〜楽園幻想物語組曲〜 | HOME
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